新たなイノベーションをデジタルで加速
生成AIが切り拓くビジネスの未来像とは
大きな広がりを見せる生成AIの可能性
鮫嶋 まずは生成AIの技術的な進歩について考えたいのですが、これはまさに日進月歩という表現がピッタリな状況です。中でも、いま特に盛り上がっているのが、テキストや映像、音声といった複数の要素を同時に取り扱う「マルチモーダルAI」です。例えば、映像と音声を組み合わせてAIに学習させることで、映像の中の人が何を話しているのかを、より正確に推定できるようになります。AIのモデル自身も、これを取り巻く周辺技術もどんどん進化しており、安全性を保つためのチェックの範囲もますます広がっていきそうな状況です。これに加えて、AIはデータを基に学習を行いますから、その元になるさまざまなデータをどう管理するのかも、今後の重要なポイントになると考えています。
原山 いろいろな要素を統合的に扱えたり、多種多様なデータを使えたりすることで、生成AIの可能性はもっと広がっていくだろうと私も認識しています。その一方で、生成AIを使う側の立場としては、これをどのように使っていくのか、その使い方についてよく考える必要があると感じています。おそらく、技術やデータだけでなく、AIの使い方についても広がりがあるはずです。便利になるのはいいとして、AIの答えを鵜呑みにせず、「自分で考える」「自分で探す」というように、主体としての自分をきちんと鍛えないと、危ない面もありそうです。
鮫嶋 よくリテラシーといわれますが、AIの世界に没入して流されてしまうのではなく、使う側の判断できちんと使えるようにする。その能力の底上げは、確かに大事なところですね。そこをしっかり担保しつつ、デジタルの力で生産性を大きく引き上げていくことが、これからの社会には求められます。特に日本は高齢化が進んでおり、生産年齢人口もどんどん減っていくことが予想されています。こうした状況を考えると、人のリテラシーとデジタルを組み合わせて生産性向上を図ることが、社会イノベーションにおける一丁目一番地といえるのではないでしょうか。
原山 あと、もう1つ「価値観」も重要なポイントになりそうです。生成AIにはバイアスの問題などもありますから、「そういう回答は正しくない」と人が介入してトレーニングを行ったりします。その際の判断基準になるのが価値観であり、「これは大事だ」「これは望ましくない」といった価値観を、我々は歴史の中で積み重ねてきました。とはいえ、これも絶対的なものではなく、さまざまな要素によって変わってしまいます。そう考えると、我々は生成AIから「あなた方人間の考える価値観とは一体何なのか」という問いを突き付けられているようにも思えます。今の社会において、何が守るべき価値なのか。これを皆で議論して一定のコンセンサスを得ないことには、生成AIを修正するためのインプットもつくれません。
鮫嶋 学校教育などを通してある種の価値観が出来上がってくるところもあるでしょうが、新しい物事に対する価値観というのは、やはり経験値と幅広い人々の知見が入ってこないと難しい面があります。日立製作所としても、一企業だけで閉じる話ではないと思っていますので、デジタルネイティブ世代の若い方々も含めたオープンな場を創ることが重要だと考えます。
品質の良いデータを持つことが日本の大きな強みに
鮫嶋 ここで少し視点を変えて、生成AIにおける日本の強みについて考えたいと思います。生成AIはチャットの形で急速に普及してきましたが、言語圏として見た時に日本語圏の人口は英語圏と比較して圧倒的に少ない。情報量としても、英語の情報の方が多いわけです。しかし、その反面、Society 5.0の構想策定時にも議論があったと聞いていますが、日本には品質の良いデータがあります。社会インフラを考えると分かりやすいですが、例えば電力にしても一軒あたりの停電回数は年1回を下回ります。新幹線をはじめとする公共交通機関の正確さはいうまでもありませんし、国民皆保険制度による健康データも蓄積されています。こうした品質の高いデータを生成AIで活用できるということが、日本の1つの強み、特徴になるのではと思っています。
原山 そもそも生成AIは、データが無いと何もできません。そのデータも現在はインターネットから簡単に取り込めるものが中心ですが、今後はもっと多様なデータが使われるようになってきます。そうした時に、日本にはたくさん品質の良いデータがあり、これをうまく使っていくことが大事だというのは私も共感するところです。
ただし、その先を考えた時に気になるのが、日本だけに閉じた形ではなくなってくるという点です。データは自由に流通させられるものですから、それを避けるために囲い込もうとする動きも出てきます。特にEUでは、データ主権やデジタル主権といった形で、自らの主権を色濃く打ち出しています。こうした時に、日本はどのような方向性をめざしていくのか。同じように主権でいくのか、それともある種のオープンスペースで共有しながら協調を図るのか、これを見定めていくことも必要ですね。
生成AIによる生産性革新でさまざまな社会課題を解決
原山 生成AIにはネガティブな面もあるものの、思った以上に可能性のドアは大きく開いているという印象です。実際に私自身も、いろいろ原稿を執筆しますが、昔はうんうん唸りながら自分で文章を書くしかありませんでした。でも今は、ふと頭に浮かんだキーワードを投げかけていくだけで、ちゃんとまとまった文章が出来上がります。
そこで思うのが、企業内の仕事でも、同じことが当てはまるのではないかということです。例えば、書類1つにしてみても、これまでは大変な労力を費やしてつくっていました。しかも大企業であればあるほど、下から上がってくる書類の量も膨大になります。今までは、これを全部手作業でさばいていたわけです。でも、生成AIを駆使すれば、ほんのわずかな時間で、書類作成や資料の取りまとめが行えてしまう。意思決定までの準備に時間も人手も掛からないとなれば、今までとは比較にならないくらいの効率化が見込めます。
鮫嶋 まさに先生がおっしゃった通り、生成AIの価値は生産性にあるだろうと思っています。日立製作所では社会イノベーションに取り組んできましたが、その中ではコストをはじめいろいろな壁に直面してきました。しかし、生成AIによる生産性革新によって、そこをブレイクスルーできそうな分野もいくつか見えています。
例えばその1つが、社会インフラの老朽化への対応です。対象設備の損耗具合を的確に判断できれば、延命を図ったり適切なタイミングで補修したりできます。それも、「この地域は海に近いから塩害が多い」といった形で、それぞれの場所や設備の特性を踏まえた形で対応が行えます。また、医療分野でも生成AIの応用が進んでおり、過去のナレッジを生成AIに与えることで、医師の判断を支援できるようになっています。
さらに生鮮食品センサーを取り扱っているパートナー企業様と一緒に、先ごろフードロス削減の取り組みを発表しました。具体的には、今まで蓄積したデータと知識を用いて、生鮮食品の鮮度を管理するというものです。鮮度の良いものはそのまま販売し、消費期限が近付いたものは加工食品の原材料として使うことで、全体としてフードロスを減らせます。このように生成AIの活用によって、いろいろな社会課題を解決する機会が広がってきています。
人間だけが持つ価値を改めて見つめ直すことが必要
鮫嶋 企業の経営戦略と生成AIという観点でも、生産性が重要なキーワードになると考えます。生産年齢人口が減るだけでなく、直近でも優秀なデジタル人材の採用がどんどん難しくなっています。その一方で、ベテラン社員もどんどん退職していってしまいますから、その経験やナレッジをどう継承していくかも問題です。こうした現実に対処し、企業全体の生産性を引き上げていく上でも、生成AIを活用していくことが重要なポイントになりそうです。
原山 人手で行っていた作業を生成AIに任せることで、多くの時間やリソースを確保できるようになります。とはいえ、リソースの確保だけでは価値創出につながりません。そうなると、自社の人材をどう効果的に活用するのか、また、人だからこそ創造できる価値をどこに見出すのかを、企業は真剣に考える必要があります。企業内で長年培われてきた仕事のやり方においても、ルーチンワーク的なところを見直さないといけないでしょう。社員それぞれの価値をうまく引き出しながら、次のビジネスへとつなげていく。そのように、人間の価値をもう一度考え直すことが必要ですね。
鮫嶋 今の仕事は、これまでの技術や考え方でつくられてきたものですから、ビジネスプロセス自体もガラッと変わるだろうと思っています。実際に、簡単に自動化・効率化できることを、わざわざ人がやっているような場面も多い。これを変えれば、より創造的な業務に集中できるようになるはずです。普段の仕事に忙殺されているようでは、なかなかイノベーティブな発想も浮かんできません。
原山 おそらく、組織体としての企業はどんどん進化していくでしょう。また、これは教育についても同じことがいえると考えています。これまでの教育のやり方は、学校へ行って先生に教えてもらって知識を得るというものでした。しかし、これからは、吸収した知識を自分なりに咀嚼し、解釈する部分が重要になります。そうなると、一方通行ではなく、教員と生徒がお互いにキャッチボールするような形にならないといけない。当然、教員の立ち位置や教え方なども、これまでとは変わってきます。教育実習のあり方なども含め、企業内での人の働き方が変わるのと同じようなことが、教育現場でも起きるだろうと思います。
鮫嶋 そうした次世代を担う人材の育成も、デジタルで加速できると思っています。例えば日立製作所には保守業務がありますが、生成AIやメタバースなどの技術を使うことで、よりリアルな感覚を養えます。また、社内向けの教育プログラムについても、座学研修だけでなくオンライン研修も行っています。このように人材教育においても、今後は新しい道具や技術を前提とした考え方が必要となるのではないでしょうか。
原山 これまでいろいろな側面から生成AIについてお話ししてきましたが、これを使うのはやはり人間だと思っています。生成AIも、古くから人間が発明してきたいろいろな道具や技術の1つです。ただし、これまでとは異なり、人間は生成AIをコントロールし続けられないのではという議論もあります。人は生成AIとどういう関係性を築いていくのか、自分たちとAIのバランスをどう取っていくのか、この辺りについて日立製作所はどう考えておられますか。
鮫嶋 先日、京都大学様とフォーラムを開催したのですが、そこでも人がAIを支配するのか、それともAIに支配されるのかという議論がありました。その中で出てきたのが、生成AIをパートナーとして見れば良いのではという意見です。確かに日立製作所の取り組みを振り返ってみると、社会インフラ分野で培ってきた技術の中に「自律分散システム」という考え方があります。これは、各サブシステムが命令を受けて動くのではなく、ある情報が来た時にどう処理するか自分自身で判断するというものです。生成AIをパートナーとして見た時には、これと同じように提示された情報が正しいのか、それを受け入れるべきかを判断する能力が必要です。そのリテラシーをAIの進化に合わせて引き上げていくことで、AIと共に進化する共進化が実現できると考えます。
現在日立製作所では、“Digital for all.”というメッセージを掲げています。ここには、デジタルによってもたらされる価値をすべての人々に届ける、それによってサステナブルな社会に貢献していくという思いが込められています。生成AIにも光と影がありますが、その影の部分を、リテラシー向上を含めて克服することで、誰もがデジタルの価値を享受できる世界をめざしていきたい。それこそが、社会イノベーションにつながるものと考えています。
原山 特定の人だけでなく、誰もが恩恵を受けられるというのは、とても大事な考え方ですね。そのためには多くの準備やサポートも必要だし、日立製作所のような社会インフラを支える企業の役割も重要になってきます。個人的には、現時点の生成AIは同等のパートナーというよりも、もう少しクールに見た方が良いと思います。ただ、こうした議論を行うことが、これからの時代にはもっと重要になってくるでしょう。
鮫嶋 もちろん生成AIは、まだまだ無条件に人間のパートナーだと呼べる段階ではないと思っています。生成AIをどう使うか、どの範囲でなら使って良いか、使い手の我々が自己判断することが重要ですね。こうやって議論して、いろいろな人の視点、考え方を取り入れながら、これから生成AIと一緒に未来をつくっていく。今まさに、そういうフェーズにあると思います。