30年以上にわたり研究開発からグローバル拠点の統括、そしてCTOとして技術戦略をけん引してきた森が、日立のイノベーションの歩みやIT・OT融合の進化、さらにAIや量子といった新興技術が社会にもたらす変化について語っています。
日立に入社して30年以上、研究者から役員・CTOへとキャリアを重ねてこられました。この間、日立の技術やイノベーションへの取り組みで最も大きく変わった点は何でしょうか。
森:過去30年で、日立は日本中心のエンジニアリング企業から、真のグローバルテクノロジー企業へと進化しました。初期はR&Dやイノベーションの多くが日本に集中していましたが、現在では世界中のスタートアップ、大学、パートナー企業へとエコシステムが拡大しています。この多様性こそが、当社のイノベーションのあり方を根本的に変えました。お客さま・パートナー・学術機関と共に価値を創造する「協創」は、今や新しい価値を生み出す中心的なアプローチです。
日立ヨーロッパ社のCTO、日立アメリカ社のSVP兼R&Dセンタセンタ長を務められたご経験は、グローバルな技術戦略に対するお考えにどのような影響を与えましたか。
森:地域ごとに、独自のイノベーション・エコシステムがあります。日本や欧州では、政府や学術機関との強固な連携による基礎研究が重視される一方、米国ではスタートアップやベンチャーキャピタル、アクセラレーターが主導する形で、より高速にイノベーションが進みます。こうした地域で研究を統括した経験を通じて、体系的で長期的な研究と、起業家的イノベーションの俊敏さを組み合わせることの価値を強く認識するようになりました。
デザインとソリューション開発は別々ではなく、一体的なプロセスであるという信念を示されています。この「協創」の哲学は、どのようにして日立のデジタルシステム&サービス事業の中心戦略へと進化したのでしょうか。

森:協創そのものは日立にとって新しい概念ではありません。以前からお客さまの実課題を共に解決する姿勢を重んじてきました。変化したのはその方法論です。デザイン思考やデジタルツールを活用することで、より迅速かつ人間中心の形で協創を進められるようになりました。また、パートナー企業と共にデザイン・データ・テクノロジーを統合し、協創をビジネスモデルとして体系化し、加速することが可能になっています。
日立は長年、産業分野を基盤としてITとOTの融合を進めてきましたが、そのアプローチは現在の統合デジタルエコシステムへどのように発展してきたのでしょうか。
森:ITとOTの融合は、日立の最大の強みのひとつです。現在展開している新たな取り組みである「HMAX」では、IT・OT・プロダクトエンジニアリングを組み合わせ、鉄道車両や信号システムからデジタルAIシステムに至るまで、一貫した価値を提供しています。これは、深いドメイン知識とデジタル技術を融合する日立ならではの強みを体現するものです。当社が製品・システムの領域で培ってきた歴史こそ、フィジカル世界とデジタル世界をつなぐ独自の優位性を生み出しています。
AI/生成AI/AIエージェント、量子コンピューティング、先進ロボティクスなどの新興技術は社会イノベーションにどのような影響を与え、日立はどのように戦略転換を進めているのでしょうか。
森:AIには長い歴史があります。30年前の私も、当時AIの一分野とされていた遺伝的アルゴリズムなどの最適化技術に取り組んでいました。いま違うのは、考え方ではなく“実現できる力”の方です。圧倒的な計算能力と膨大なデータが利用できるようになったことで、AIは本当の知性に近いものを大規模に発揮できるようになりました。
トランスフォーマーモデルがこの進歩を一気に加速させましたが、AI自体は、人類がデジタル技術を使って推論や発見を進めようとしてきた長い歩みの延長線上にあります。先日Hitachi Digital Servicesが発表したHARC Agents は、日常的な生成AIから「フィジカルAI」へと急速に進化しつつある姿をまさに示していると思います。
AIの発展は段階的です。第一世代は画像や音声など「認識」に重点がありました。第二世代は新しいコンテンツを生成する「生成AI」です。現在は、知識に基づいて自律的に行動する「AIエージェント」の時代に入っています。そして次のフロンティアは「フィジカルAI」、すなわち知能が現実世界と直接相互作用する領域です。日立はOTと社会インフラに深い知見を持つため、エネルギー、鉄道、製造などの物理環境において、安全かつ効果的にAIを適用できる強いポジションにあります。
AIに加えて、量子コンピューティングは、従来の計算機では扱えない複雑な物理・化学現象の理解に不可欠になります。これは新たな「データ生成装置」となり、材料科学から医療まで、未知の自然現象のモデル化を可能にします。AIと量子を組み合わせることで、現実世界の振る舞いを未踏のレベルで予測・探索できるようになるでしょう。
最後に、今後5年間で企業が最も注目すべきポイントは何でしょうか。
森:テクノロジーそのものはあくまでも手段にすぎません。すべての組織にとって大事なのは、「お客さまや社会にどのような貢献を果たしたいのか」という問いです。DXやサステナビリティなど、優先課題は時代によって移り変わるかもしれません。しかし目的は不変です。テクノロジーを生かして、人と社会、そして地球によりよい影響を生み出すこと——それが本質なのです。



